新潟県阿賀野市分田にある曹洞宗 玉應山 玉泉寺の紹介

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地名と歴史

玉泉寺は新潟県阿賀野市分田の地にあります。
 『分田(ぶんだ)』という地名は、応徳元年(1083年)分田七郎俊長の領地となったことに由来しています。
 分田七郎俊長とは阿賀野川の流域で旅人や良民を苦しめ、横暴の限りをつくしていた悪党共を制圧した軍功により、納代城(分田の城)を与えられました。その後、乱世に領民の暮らしを良く守り、郷土を平穏にした名豪士として現代まで語り継がれています。
その分田七郎俊長の戦勝祈願の寺として『玉泉寺』が開基された。
 分田は近世(江戸時代〜明治時代)には、三国街道の江戸より村上までの山通りとして発展した。人馬が往来し、海辺へ行く人と山手へ行く人との中継地で、交通の要として繁栄していた。
街道沿いには宿が整然と続き、何軒かの地主が昭和中期まで黒の板塀を巡らしていた。宿場の見取り図によると街道の入り口には木戸を巡らされ宿場の街屋が守られていたことがわかる。
宿場には人馬の伝送や宿泊の世話をする宿役人が置かれ公用で通行する武士や名所旧跡を廻る農民、町人たちで賑わっていた。
明治11年(1877年)明治天皇の北陸巡幸の経路となった。また分田では阿賀野川の清き伏流水で享和年間(1801年)より酒造りが盛んで三軒もの酒蔵があった。
今も分田の家並みの様子や通りのたたづまいに、近世期の宿場の面影と分田の歴史をかいま見ることができる。